【出】11/19(土) 霧降高原前、父母お墓参り、日光珈琲・日光御用邸通
11/19(土) 霧降高原前、父母お墓参り、日光珈琲御用邸通店
父母のお墓参り。
入谷まで首都高、そこから4号で宇都宮、
途中道の駅で休憩しつつ、宇都宮で父母のお墓参り。
自分勝手で随分とご無沙汰、
お墓の前に立つと、悲しいのではなく感謝の気持ちで、自然と涙がでてくる、
自分が30歳になる頃、父が癌で亡くなる、それまで、何でも自由に好きなことをさせてもらった。
20代、仕事の休みを利用して、ユースホステルで短期バイトをしながらバイクで日本各地を走ったり、
キャンプ場に泊まったり、オーストラリアを1か月半バス旅行したりなどなどと、
両親にはいつも事後報告だった。
父は無関心というほど何も言わず、母は絶対に自分を否定しなかった。
自分にとってそんな人たちは、彼らしか、いない。
父が癌とわかる少し前、夏は北海道⇔冬は沖縄と、
北海道での仕事先も決めて出かけようとしているとき、
父の癌がわかり、母からはじめて、出かけないで、と言われる。
どんな家庭にもいろいろ事情があるように、家にもいろいろと事情があり、
父には「もう一つの家」があった。
母は黙認していたけれど、情緒不安定でいつも父の悪口を話していた、
そんな彼女も自分が高校生の時、父ではない男性と「恋」をするようになった、
自分は父をずっと「悪い人」だときかされてきた、
だから、母とその男性との関係も父の責任だと感じていたし、
父と会話をすることもほとんどなかった。
なので、母から「出かけないで」という言葉の意味が理解できず、
彼女の言葉に、非常識だけれど、驚いた。
それから、仕事を辞め、父がなくなるまで母のそばにいた。
父が亡くなった後、とてもきれいだった母はあっという間に年をとり、
64歳で亡くなった。
今想うと、ぜんぶすべてが、懐かしい。
この両親に生まれてきて良かったと、今の自分があることに、
とても遅すぎるのだけれど、今になって、本当に素直に感謝できるようになった。
父の実家が栃木なので、日光にはそれなりに思い出がある。
食べることが大好きな父は、金谷ホテルに隣接するステーキハウスがお気に入りだった。
お墓参りをした後、両親が車に同乗しているような気持ちになり、
日光街道をゆっくりと走る、パパ、ママ、日光だよ、と、自己満足に、想、笑。
そんなことで、金谷ホテルに立ち寄りたいと想っていたのだけれど、
その周辺がとても混雑、現実的状況から判断、結局以前から気になっていた、日光珈琲・御用邸通。
以前はお米屋さんだった建物を改築、以下個人的感想。
雰囲気はよいけれど、少しお洒落すぎるような感じ、
そば粉のガレット+水出しアイスコーヒー+栗のタルトをいただく。
お味は先日のオクシモロンのが好み。