【出】10/9㊋ 術後46日
10/9㊋ 術後46日
暇つぶし手仕事せっと。
術後46日
2階への上り下り、試行錯誤で1日2往復。
天気の良い日は、2階にある6か所の窓を全部開放したいし、
ここへ来てから最近までは、ずっとそうしてきた。
亡くなった母が、窓を開けて風を通すこと、
毎日布団を干すことが大好きで、
自分もそんなことがとても心地よく気持ちがよい。
夫は朝の光が苦手で、とけるぅ、と、呟。
カーテンを閉めたまま、そのままそっとしておきたいらしい。
窓を開けていってね、と伝えると、だいたいの窓は開けたよ、と、夫。
だいたい。。。。なるほど、と、一応納得する。
そんなことで、彼が出かけた後、2階へとあがる。
右足と両手を使い、上り階段に対して背を向ける。
階段に座り両手と右足だけでのぼる。
鉄骨階段の空間に松葉杖を引っ掛け、自分と一緒に移動。
2階へつくと、右足だけで立ち上がらなければならない、
これがまた結構な筋トレ。
右足は強く逞しく、左足はどんどん細く。
可動域トレーニング+軽い筋トレ、立つ、歩くことの大切さを、痛感。
そんなことで今朝も、夫が出かけた後、2階へ。
あぁ、またあそこの奥が閉まっている、1/3しか開いていない、
奥の窓全閉、カーテンまでしまっている、と、すべてを開け放つ。
これでも彼的にはおそらく必死で窓を開けているのだろう。
溶けてしまわぬように。
そして夕方、また両手と右足で1往復。
今度は窓をすべて閉める、そんな毎日。
夫よ、毎朝、苦手な窓開け、ありがとう。
築地中央卸売市場で働いていたこと。
w衛星放送で25歳まで働き、その後、オーストラリア旅行3か月。
グレイハウンドのバスで移動しつつ、戻ってから、
目白にある、パズル制作スタジオでバイトをしている頃、
マウンテンバイクに乗るのが楽しくて、
午前中で仕事が終わる築地卸売市場で働きだした。
朝4時に豊島区の実家から自転車で築地まで。
5時から11時すぎぐらまで仕事、また自転車で帰宅、そして練習。
マウンテンバイク時代 若かった。。。
マウンテンバイクの練習がしたいからと働きはじめた築地は、
それはもう魅力的で恐いけれど楽しい場所だった。
働いていた場内鮨だね卸、親族経営、長男から末っこまで男6人女1人+次男の嫁。
会計をする帳場に入り、売り子が声で通す値段をメモ書きして計算。
専門用語が入交、山手線ラッシュ時ぐらいに混雑してくると、
売り子の声もどんどん速くなる。
玉10、生貝250、→赤貝10個、アワビ250㌘など。
そんなことが最初からできるわけもなく、
忙しすぎて教えてもらえる暇もなく、教育係の末っ子女性はとても意地悪だった。
なんで教えてないんだぁ、と、長男会長。
おしえてるだろぉ、おしえてるのになんでできないんだ、と、末っこ女性。
随分と怒られたけれど、
そんな教えようともしない教え方でできるわけない、と、何も感じない。
けれど悔しいので、人のやり方をみて、全部自分で、覚。
メモ書き、計算の仕方、茶屋札の書き方、閉めの計算、支払いなどなど。
会計までの流れができるようになった自分をみて、
あれ、おれ、教えたっけ、教えてないだろ、なんでできるの、と、教育係末っ子女性。
やはり彼女は意地が悪かったのだ。
それでも築地は楽しかった、なぁ。
自分に一番あっていた仕事だとおもえる。
いし、は、よぉ、→あなたはね、
うっちゃっちまえ、→すててしまえ、
はんかくせ→小生意気、などの浦安弁。
同じ場内の火事で仲卸数件が燃え尽きても、翌々日からは仕事を再開する力強さ。
仕事途中にでてくる、白飯だけのおにぎり。
生貝(アワビ)の重さを誤魔化しているお客さん。
何かっていうと下ネタで盛り上がっている売り子とお客さん。
お客さんのお店で御馳走になり、カラオケへ行ったりなどなど。
そしてターレ。
くるくると、360度好きな場所に回転、
早朝の築地、ターレーと荷車の喧嘩、
交通法規なんてまるで無視、場外一方通行を逆走するターレー。
その日、ターレーに乗れるか、荷車作業になるか、は、
荷物運び男性にとってかなり重要でもあったらしい。
当時彼らは、17500円もらっていた。
自分もいつか乗ってみたかったターレ。
マウンテンバイクで通勤、長靴をはいて、築地場内で仕事をしていたのはたった2年。
けれど、懐かしいっす。
築地移転、で、こんなことを、おもいだした。