【想】「本当に好きだったら、大丈夫、やれるよ」
8/26 「本当に好きだったら、大丈夫、やれるよ」
この言葉がたまらなく好きです。
星野道夫さんが亡くなった後、奥さんの直子さんが書いた本。
『星野道夫と見た風景』 そのタイトルだけでも心がぐっとしてきます。
だから、「夢は何?」と聞かれて、私はそんなことを話しました。
そしたら道夫さんが、
「本当に好きだったら、大丈夫、やれるよ」って言ってくれたんです。
そのひと言で、「あっ、そうだ、できるかもしれない」と、
それまでの迷いが嘘のように吹っ切れてしまった。
まるで背中をぽんと押されたように、2月には辞表を出して、3月に退社。
4月にはフラワーアレンジメントの学校に通うようになっていました。
20歳の頃、好きな人と同じ風景をみてその人が何を考えているの知りたい、
そう強く思っている時期がありました。
同じ場所にいても、人はそれぞれ違う場所をみて、
違うことに着眼し違うことを考えてる。
そんなことは当たり前なのだけれど、
若気の至り???、それがなぜかとても切なくて、
せめて好きな人がその時みている風景だけでも共有できたらと思っていました。
そんな時、
他の人がみている風景を見ることができるカメラ?装置?を開発しました、と、
テレビニュースで知り、とても羨ましく思ったことがあります。
今となってはどんなに価値観の近い人でも、
自分とすべてを共有することの難しさを身を以て認識しているわですが、
それでもやはり、誰かと何かを共有してみたいというその想いは、
自分のココロの奥底にずっと佇んでいて、
不器用な自分は常にその方法をさがしているのだと思います。
「本当に好きだったら、大丈夫、やれるよ」
この言葉が好きでたまらないのは、
その方法、共有の仕方が、この言葉にあると自分には思えてしまうからです。
共感し、応援し、一歩踏み出す気持ちを与え、
それを現実にし経過と結果とその先を共有することができる
そんな言葉だと思えてしまうからなのです。
『星野道夫と見た風景』
誰かと一緒に見たと言える風景、共有できたと思える風景。
「本当に好きだったら、大丈夫、やれるよ」
それが人にできる最大限の共有の仕方なのだと、
当たり前のことなのかもしれないけれど、そう、思っているのです。